【経営者インタビュー】株式会社Eikyuアイキャッチ
大阪府東大阪市で、化粧品関連容器の印刷事業や保育園、虫よけグッズの「おにやんま君」など幅広い事業を展開する株式会社Eikyu様。新井 大様が祖父の代から続く印刷事業を拡大させ、会社設立に導きました。

『クオリティーファースト』をコンセプトに、印刷技術や労働環境、従業員満足度など、すべてにおいて一番を目指している企業様です。会社を設立するまでの経緯や、大変だったエピソード、今後の展望を語っていただきました。

祖父の代から続く事業を拡大させ、会社を設立した

––株式会社Eikyu様の歴史をお伺いできますでしょうか?

株式会社Eikyuは、2015年4月に永久スタンピング社から独立したのが始まりです。永久スタンピング社は、1965年に私の祖父が家内工業として創業した会社。ホットスタンプの機械1台から始まり、私の父も永久スタンピング社を手伝うことに。法人ではありませんでしたが、雑貨や文房具の印刷事業を行っていました。

平成元年に代替わりし、父が代表として切り盛りすることに。父と祖父、パートの女性を5人ほど雇い、「これからだ」というときにバブルがはじけたんです。私は24歳までサッカー選手をしていましたが、母からの電話で「お父さんの会社が危ない。せめてサラリーマンとして働いて安心させてほしい」と言われました。

その言葉を聞いた私はサッカー選手を辞め、営業職として働き始めます。飛び込み営業の会社で結果を出し続け、その分しっかり対価をいただきました。サラリーマンとして稼いだお金の一部を実家に入れ、借金は残りましたがなんとか生活を保つことができたのです。

しかし、営業職は非常に忙しく、夜中に帰宅し朝に出社する生活。満足のいくお給料はいただけますが、心が疲弊していました。何より結婚のタイミングだったため、「この生活を変えなければ」と考えたんです。

そこで祖父と父に、永久スタンピング社で働かせてほしいと相談しました。すると2人は歓迎してくれ、家業を手伝うことに。ただ、1ヶ月目の給料はなんと8万円。さすがに驚いた私は「これではいけない」と思い、受け入れできる仕事は全て受け、工場稼働を24時間に。朝も夜も関係なく仕事をしました。

すると、幸いにもたくさんの仕事をいただくことに成功。父の借金は無事返済でき、会社も設立できる規模になりました。そして、2015年に株式会社Eikyuを設立したのです。

飛び込み営業から、大切なご縁をたくさんいただいた

––株式会社Eikyuを設立してからはスムーズでしたか?

正直に言うと赤字でした。“化粧品関連容器の印刷製造”を展開していくつもりでしたが、利益は出ておらず。「どうにかしなければ」とがむしゃらに仕事を探しました。

そんなとき、大手容器のメーカーの現会長(当時社長)に、ほぼ飛び込みでお会いさせていただくことになったのです。会長から「あなたの会社で何ができるんや?」と聞かれた私は、咄嗟に「今は何もできません。でも頑張ります!」と答えました。すると、熱意と必死さが伝わったからか「分かった」との返答をいただいたのです。そこから、株式会社Eikyuの未来が大きく拓かれました。

メーカーの会長からは、印刷機購入の支援をしてもらったり、会社を紹介してもらったり。一生かけても返せないほどの恩をいただきました。さらに、自動化機械を導入するための“ものづくり補助金”を受けることに成功。しかし、当時の工場は設備が整っておらず、肝心な自動化機械を設置する場所がありませんでした。そこで会長に相談したところ、「機械を置くための場所を探しておきなさい」とのこと。

とはいえ、当時34歳の私に物件を貸してくれるところはありませんでした。すると、地域で一番大きな印刷会社の会長、社長が協力してくださり、新たな工場が見つかったのです。

改装費や事業が軌道に乗るまでの費用をすべて合わせると1億近くかかりましたが、弊社が軌道に乗るまで、様々な面で大手容器メーカー様からのご支援を続けて頂けることに。こうして、現在の「本社」が完成し、化粧品関連容器の印刷製造を進められる状態になったのです。

私は、“いただいた恩は一生かけて返す”をテーマにしているため、当時は支援をしていただいているメーカー様からいただいた仕事以外は受けるつもりはありませんでした。しかし、「他の仕事もしなさい」と言ってもらえたのをきっかけに、展示会での飛び込み営業を始め、新たな仕事をたくさんいただけるようになったのです。現在は仕事も設備も増え、年商はどんどん上がっています。

素直で一生懸命な女性スタッフから直談判された

––貴社の社員様は99%が女性ですが、何かきっかけがあったのでしょうか?

「これから株式会社Eikyuを立ち上げよう」というときのお話です。現在の工場長とコンダクターの2人が、父の代からアルバイトとして一生懸命働いてくれていました。

当時工場長が22歳、コンダクターが18歳。非常に素直な方々で、私が夜勤で仕事に入っている日はおにぎりを持ってきてくれることもありました。

そんなとき、私のサッカー仲間だった男性2人を社員として迎え入れたのです。しかし、男性社員が工場に入っているときは、なぜか数字が上がりませんでした。私の不在中に手を抜いていたのでしょう。工場長とコンダクターの彼女たちは、男性社員の夜勤が終わる朝6時には必ず出勤し、一番に頑張ってくれていたことを私は知っています。

そんな日々が続いたある日、とうとう彼女たちから直談判されました。「一生懸命働いている私たちがアルバイトで、彼らが社員なのは納得がいかない。私たちを取るか、男性社員を取るか選んでください」と。

私は、圧倒されると同時に納得しましたが、すぐにどちらかを選ぶことはできず、男性社員に「次に遅刻したら辞めてほしい」と最終忠告をしたんです。その後、男性社員2人は1ヶ月以内に遅刻をし、工場を去ることに。そして、私は彼女たちと株式会社Eikyuの未来を描こうと心に決めました。そこから彼女たちが友達を紹介してくれ、女性従業員が増えていったのです。

初めは意図せずに女性従業員が増えていきましたが、現在は従業員の99%が女性。彼女たちがここまで頑張ってくれるのは、会社に対する愛情があるのだと思います。きっと私と同じように、株式会社Eikyuに恩を感じてくれているのでしょう。他の工場は男性が多いですが、同じように仕事に誇りをもって働いてくれる女性ばかりで心から感謝しています。

ちなみに、女性だけの製造業が珍しいということで、関西テレビ放送グループ『よ~いドン!』の人気コーナー「となりの人間国宝さん」にも選ばれ、取材を受けたこともありました。

【経営者インタビュー】株式会社Eikyu

女性が長く働けるように。その想いで運営する保育園

––Eikyu様では保育園も運営されていますが、詳しくお伺いできますでしょうか?

弊社は女性従業員がほとんどのため、様々なライフプランを迎える方が増えました。ただ、弊社付近に保育園がなく、仕方なく辞めてしまう従業員も出てしまったんです。

私は彼女たちが会社を辞めなくて済む方法を考え、企業主導型保育園の運営を決意します。すぐに説明会に参加し申請したところ、採択され2019年に「小若江いるか保育園」、2年後の2021年に「岩田町いるか保育園」を設立しました。

ある1人のアイディアを形にするため、最後まで戦った結果生まれたヒット商品

––株式会社Eikyuのヒット商品である「おにやんま君」が誕生した経緯を教えてください。

今でこそ人気を誇る「おにやんま君」ですが、知名度が上がるまでには時間がかかりました。おにやんま君とはトンボ型の虫よけグッズで、殺虫剤や忌避剤を使わずに蚊やハチ避けができる商品。

実は、おにやんま君を発案したのは青木宏充さんという方。青木さんはハイキングやキャンプが趣味のサラリーマンで、「アウトドアの最中に必ず虫に噛まれてしまう」という悩みからアイディアが生まれました。青木さんはこのアイディアを実現すべく、株式会社Eikyuに声をかけてくださり、共同開発をすることに。

当時は商品名も決まっておらず、本当に売れるのか半信半疑でした。しかし、着々と開発を進めていき、2016年に形になったんです。発売当初は売れ行きが悪く、青木さんからも弱音が出ましたが、「もう少し頑張りましょう」とおにやんま君の販売を続けました。

すると、コロナ禍でキャンプや釣りが流行り出し、そのタイミングでおにやんま君の注文が急増。そこから欠品になってしまったり、偽物が出たりと紆余曲折ありましたが、2023年には累計販売個数が100万個を突破いたしました。

技術・社員・福利厚生すべてにおいて一番を目指す

––株式会社Eikyu様で大切にしている想いを教えてください。

“クオリティファースト”が弊社のキャッチフレーズ。「すべてにおいて1番」という意味ですが、数字としてではなく、我々が1番幸せな形を作っていくことを大切にしています。もちろん、印刷の品質も人間力も従業員しあわせ度も最高水準を目指します。

大切なのは、人に優しく在れるかどうか。そして、関わる人を大切にしたいという想いがあるため、私はどんな人の手も離しません。私自身が、ずっと人に救われてきた人生なので。

また、私と社員は会社を大きくする過程で「甘えを捨てよう」と約束しました。働いているときは女性であることを忘れ、トラックの運転やフォークリフトもしてもらいます。なぜなら、他の工場に行っても通用する人材になってほしかったからです。初めは負担に感じた社員もいたかと思いますが、今ではみなさん一生懸命仕事に向き合ってくれています。

現在の事業にも、今後生まれる事業にも、誠心誠意取り組む

––今後の展望を教えてください。

ご縁から生まれた仕事や、会社としてやるべき事業が見つかった際は、これまで通り一生懸命取り組むことです。私は以前から、“やりたいこと”ではなく、“やらなければならないこと”を選択してきました。その理由は、私の背中にみんながいたからです。

会社を設立できたのも、化粧品容器の印刷事業が軌道に乗ったのも、おにやんま君がヒットしたのも、手を差し伸べてくれた方々へのご恩を返すため必死に走り抜けてきたから。人との繋がりから生まれた事業は必ず成功に導く自信があるため、これから新規事業が生まれた際も、軌道に乗るまで精一杯取り組みます。

また、現在行っている事業すべてが本業ですので、これからもどんどん拡大していくつもりです。現工場よりもさらに大きな工場の建設、いるか保育園の増園、おにやんま君の世界進出を視野に入れております。そして、今後も繋がりを持ってくださった方への感謝を忘れずに、すべての事業に全身全霊をささげます。