機能するデザインを、お客様に
デザインは「ものづくり」。
デザイナーとして、この考えは今でも私の指針になっています。
中学生のとき、ロボットコンテストに参加しました。自分で創意工夫する楽しさに、どんどんのめり込んでいく自分。「つくる」ことの楽しさをこの手で実感し、将来は電子機械の道に進もうと決意。この時期が今の自分を形成したといえるかもしれません。
電子機械科のある高校に進学し、そこで技能五輪選手という存在を知りました。技能五輪とは、23歳以下の青年技能者が溶接やウェブデザイン、理容や料理といった幅広い分野で、技能レベルの日本一を競う大会です。その選手になるということは、「就職後も、自分の好きなことを突き詰めていける」ということ。純粋な憧れを持つようになりました。その後、晴れて技能五輪選手としての就職が決定。憧れは現実となった……その直後のことです。
会社が他社に吸収合併されてしまった影響で、選手チームが選手卒業後に配属される開発部署ごと解散してしまいました。「技能五輪や開発ができないのならば、このままではなくなにか新しい道を探してみよう」。母の影響でハンドメイド雑貨が好きだったため、雑貨・プロダクトデザインが学べる専門学校に進みました。
プロダクトデザインは「ものづくり」という意識がとても高いデザイン分野だと思います。自分の「つくる」ことへの探求心もどんどん増していき、結果プロダクトデザイナーとしての就職が決定。ところが、ここでは機械設計の部署に配属され、プロダクトデザイナーの仕事はできなかったのです。
機械設計の仕事も楽しい部分はありました。ただ、改めてデザイナーの仕事をしたい気持ちが押さえられなくなり、2年ほど勤めた後に退職。プロダクトデザイナーへの夢は持ちつつも、できる幅をもっと広げたいとグラフィックデザインを学べる学校に入学しました。
学んでみて感じたのは、グラフィックデザインは世の中のありとあらゆる場所にあり、自分と社会の接点を増やしてくれているということ。そして、グラフィック的な思考で物事を考えると、世の中のほとんどのものは美しくできることに気づきました。自分の持つ能力にグラフィックを加えた結果、すべての面で一段ステップアップできたと思います。
その後、念願かなってデザイン事務所にデザイナーとして就職。縁あってインハウスデザイナーとして別会社に出向する機会をいただきました。
インハウスデザイナーとは、自社内のデザイン業務に携わる仕事。お客様ではなく、社内でのコミュニケーションを中心に仕事をするうちに、一つの企業に寄り添う働き方が自分に合っていると実感するようにもなりました。どういう制作物であれば企業の良さを引き出せるのか、一つの企業のことをまっすぐ、真摯にとらえ、伴走型で仕事をしたいと思うようになったのです。
現在はフルタイムで企業に勤めつつ、副業でつむぎのデザイン制作に携わっています。チーム伴走でお客様と関わるつむぎは、自分にとって理想の環境です。
デザイナーという仕事を一言で表すなら、私は「伝達者」と答えます。制作物を見ていただく人に何をどう伝えるのか、無数の選択肢から最適な方法を選ばなければなりません。私からの提案を通して、伝えたい内容が適切に伝えられる制作物ができるよう、日々取り組んでいます。
また、デザインは「機能すること」が大切だと思うのです。どれだけ見栄えが良くても伝わりづらければ、そのデザインは機能していません。デザインが機能しているかどうかを考えることは、これからも大切にしたいですね。
制作物をお渡しして喜んでいただく瞬間は、デザイナーとして何よりも嬉しい時間。「この人に頼んでよかった」と思っていただけるよう、ものづくりの精神を忘れずに、これからもお客様に寄り添っていきます。