京都府城陽市で、茅葺き屋根工事や、ヨシ原の維持管理を行う山城萱葺株式会社様。代々続くヨシ屋の4代目代表として山田雅史様が就任し、同時に屋根屋としての事業も展開。『茅葺きを次世代へつなぐ』という想いのもと、茅葺きという選択肢が当たり前に存在する社会を目指しています。会社設立までのエピソードや、今後の展望についてお伺いしました。

ヨシを販売する屋根屋が絶滅する危機感から、茅葺き職人を目指す

––創業までのエピソードを教えてください。

元々山田家は、自営業でヨシ屋(※茅葺屋根の素材屋さん)を営んでいました。日曜日になると、父に葦原(人が手を入れて管理する場)に連れていかれ、材料を運搬したり、ヨシを刈ったりと、家業の手伝いをする学生時代。そして建築会社で現場監督業務に3年間従事した後、家業に入りました。

いざ社長になってみると、バブルが弾けた後で公共事業が痩せ細っていくような状況。さらに、高齢化により茅葺き職人が減少する事態に。「このままでは、ヨシを販売する先の屋根屋さんが絶滅してしまう」と危機感を感じ、29歳のときに茅葺き職人になることを決意します。

私はすぐに、地元の屋根屋さんに「手伝わせてほしい」とお願いし、1現場参加させてもらうことに。すると、幸いにも他の屋根屋さんにも呼んでもらえるようになり、一生懸命仕事に取り組みました。そして、最終的には父と同じ世代の親方が営む屋根屋さんで修行させてもらえることになったのです。「茅葺職人として一人前になるまでには5~10年かかる」と言われていますが、私には家業の経営があったため、なんとしても早く一人前にならなければいけませんでした。

そのため、「一度師匠と入った現場は、次に入ったときに全部1人できるようになろう」という集中力で取り組んでいたのです。このように、目の前の仕事に精一杯取り組んでいたところ、仕事や仲間が増えていきました。そして、2004年に山城萱葺屋根工事を創業し、2014年には山城萱葺株式会社を設立したのです。

自分を追い込み、一心不乱に屋根作りに打ち込んだ

––なぜそこまで成長スピードが速かったのでしょうか?

多くのご縁があったのが1つの要因です。「屋根作りを始めた」と言ってみると、滋賀県の屋根屋さんが「僕のとこにも来てよ」と呼んでくれたり、それがきっかけで『日本茅葺文化協会』に参加したり。多くの方との出会いがあり、さらには伊勢神宮の研修にも呼んでいただけたのです。そしてまた知り合いが増えて…と、あちこちで武者修行を繰り返していました。

お願いされた仕事は断りませんでしたが、まだまだ技術が足りていなかったため、求められるものを作ることに必死でした。せっかく仕事をもらえても、品質が悪ければ次はありません。そのため、帰宅すると同時にイメージトレーニングをしては、屋根の模型を作り、一つひとつの現場を乗り越える日々。このように、自分を追い込みながら一生懸命屋根作りに打ち込んでいたからこそ、かなりの速さで成長できたのでしょう。

お客様の予算と経営のバランスを保つ難しさを痛感

––創業してから大変なことはありましたか?

常に仕事が切れるリスクがあることです。ただ、実際には仕事がなくなることはありません。「茅葺き職人には仕事があるの?」と思われる方も多いかもしれませんが、現在は日本全国合わせても、茅葺き職人はたったの200名程度。一昔前までは何千人という茅葺き職人がいましたが、今では私の世代でさえ最年長と呼ばれるほど。そのため、茅葺き職人としての仕事はたくさんあるんです。

しかし、難しいのはお客様の予算感に合わせた見積もりをすること。お客様にとって高額な見積もりの場合、仕事が無くなってしまいます。ただ、初めから安価にしてしまうと、本当にその予算でやらざるを得なくなるのです。職人の生活水準を上げたいと思いながらも、仕事を確実にいただくためのバランスを考えるのは非常に難しいですね。

茅葺きの特徴そのものが会社の理念

––企業理念について詳しくお伺いできますでしょうか

「茅葺きの特徴そのもの」が会社の理念です。茅葺きは人類初の屋根であり、壁としても同時に使われていました。現在は鉄やコンクリートが主流になり、さらに価格面でも安くなっていますが、石油資源が無くなった際の最後の砦が「自然」なのです。

現在、日本で草原と言えるのは1%程度。「この草原を、技術を、先祖が残したものだから我々の世代で途絶えさせたら申し訳ない」と思うのではなく、「未来にも茅葺きがあったほうが豊かである」という気持ちを信じているのです。

ヨシは成長する過程でCO2を吸収する特徴がありますが、放置すると生えたまま刈れてしまいます。すると、新たなヨシが生える場所がなくなり、浄化能力が低下するんです。

そのため、成長した草を刈り取って使う。そしたらまた新しい草が生えてくる。そういった環境に対する影響を無視できませんし、世界中で思い出して欲しい。このような想いで、茅葺きという文化を存続させていこうと尽力しています。

個性的な社員が多く、チームワークが良い

––山城萱葺の社員様はどのような方がいらっしゃいますか?また、社員様との関係で気を付けていることはありますか?

山城萱葺の社員は、経歴も性格も個性豊かな人ばかりです。社員の人柄をパラメーターにしたら、どこかが尖っている図になるかもしれませんね。しかし、茅葺き職人として入社してくれた社員はみんな良い人です。

もちろん、業界未経験で入社される方も多いため、教育には気を遣っています。啐啄同時(そったくどうじ)という言葉があるように、弟子と師匠の息が合って相通じたときに初めて成長するのです。そのため、社員が求めているタイミングを伺いながら教えることを心がけています。

また、社員には「家族を大切にしてほしい」と伝えています。家族は最小の社会であるため、仕事で貢献するよりも前に、まずは一番身近な家族を大事にすべきだと考えているんです。そのため、子どもの行事がある際や、体調不良の際は遠慮なく有給を使ってもらっています。

誰もが茅葺き職人を目指せる職業にしたい

––今後の展望を教えてください。

茅葺き自体もそうですが、茅葺き職人をもっとメジャーな職業にしたいと考えています。「茅葺き職人」を特殊な仕事だと考えている方も多いかもしれませんが、普通の人が普通の職業として選べるようになったら嬉しいですね。そのために、社内だけでなく、社外でも不足している茅葺き職人を育てたいと思っています。

茅葺きは1つの技術が日本中に広がったわけではなく、様々な地域で同時に生み出されました。その技術を画一化するのではなく、地域ごとの特徴を無くさずにしっかり継承するお手伝いをしていきたい。そして、今まで茅葺きに触れることのなかった方々に興味を持っていただき、挑戦したいと思っていただけるよう尽力します。